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鹿児島地方裁判所 昭和44年(わ)131号 判決

被告人 新留勝

昭一九・四・一六生 郵政事務官

中原海雄

昭一七・三・五生 鹿児島県憲法を守る会事務局員

主文

被告人両名はいずれも無罪。

理由

一、本件公訴事実は、左のとおりである。

「被告人らは、昭和四四年四月二七日午後二時ごろ、鹿児島市西千石町一三番一七号須藤豊子方前路上において、所轄鹿児島警察署長の道路使用許可を受け、他の約五〇〇名とともに集団行進中、

(一)  被告人新留勝は、同集団が右警察署長の付した許可条件に違反し、道路いつぱいにひろがつて行進するのを規制していた鹿児島県巡査、鹿児島警察署勤務司法巡査弓木野豊美の頭部を、所携の旗竿(長さ約三・八米)で一回殴打し、

(二)  被告人中原海雄は、右弓木野巡査が、右被告人新留勝を右公務執行妨害の現行犯人として逮捕すべく、同人に背後から組みついたところ、その逮捕を妨害するため、同巡査の右腕を両手で掴んで強く引張り、また、同巡査に背後から組みつかれていた右被告人新留勝の右腕を両手で掴んで強く引張り、

もつて、いずれも公務員たる右巡査の職務を執行するにあたり、それぞれこれに対して暴行を加えたものである。」

二、まず、被告人新留に対する公訴事実について検討する。証人弓木野豊美および同宮田良成の当公判廷における各供述、司法警察員作成の実況見分調書、押収してある組合旗一本(証一号)によれば、被告人新留が公訴事実記載の日時、場所において集団行進に参加していた事実ならびに右日時、場所において、同被告人の所持していた組合旗の旗竿の先端付近が右集団行進に対する規制を行なつていた司法巡査弓木野豊美(以下「弓木野巡査」という)の頭部に当つた事実が認められる。しかしながら、これが同被告人の故意によるものであることを認めるに足りる証拠は存在しない。もつとも、証人西田稔の当公判廷における供述(一、二回)の中には、同人は鹿児島警察署の警備課長であつて、右当日は特科隊長として右集団行進に関する採証活動に従事していたところ、公訴事実記載の場所において、被告人新留が興奮した様子で旗を旗竿に巻きつけ始めたので注視していたら、同被告人が旗竿を頭上に持ち上げて機動隊の実施部隊目がけて打ちおろし、それが右隊員のヘルメットに当つたのを現認した旨の供述部分がある。しかし、右供述部分は、以下の理由により信用できないものというほかはない。右証言によると、被告人新留は右のようにして旗竿を打ちおろし、その直後旗竿をその場に捨てて逃走したので、その旗の状態を見分したところ、旗は七ないし八分どおり旗竿に巻きつけられていたというのであり、これによつてみれば同被告人は意識的に旗を旗竿に巻きつけ、これをもつて弓木野の頭部を殴打したとみるほかはないわけである。ところが、写真三枚(番号66、67、68のもの)には、同被告人が旗竿を立てて旗を持つている状態が写されているところ、証人宮島一博、同西田稔(二回)の当公判廷における各供述により、これが本件被告人新留の所為の直後の状態を写したものであることが明らかであるが、写し出された旗の状態からみて旗は全く旗竿に巻きつけられていないことが明らかである。当時右西田は被告人新留から約二メートルしか離れていない至近距離にいたというのであるから右西田は同被告人の行為の直後同被告人の所へ駆け寄つたと考えられ、現に弓木野巡査が旗竿を当てられて直ちに同被告人の方を見た瞬間には右西田は同被告人に抱きつこうとしていたというのであるから、右写真はまさに犯行直後のものと認められるところ、右旗は旗竿の長さが約三・八メートル、旗の部分は縦約一・四メートル横約二・四メートルというもので、いかに当日かなりの風が吹いていたとしても、たやすく巻いたり開いたりすることは困難なものであるから、右旗竿が弓木野巡査の頭部に当つたときに旗が旗竿に巻きつけられていたとはとうてい考えられない。さらに、右西田は、被告人新留が興奮した様子で旗を巻きつけ始めた時の状況が番号五九の写真に写されているというのであるが、本件組合旗は旗竿を立てて右に開いた場合左から右に「全逓信労働組合鹿児島県地区本部青年部」と書かれているものであるところ、右写真には「合鹿児島県地」の部分が表から見えることから判断すると、意識的に旗竿に巻きつけられた状態とみるよりは、むしろ被告人新留が供述するように風によつて巻きついたものと認められる。したがつて、右の動かし難い証拠と矛盾するというほかはない右証人西田の前記供述部分は信用することができず、また証人宮田良成の当公判廷における供述中には、「なぐつたと直感した」旨の供述があること、旗が弓木野巡査に当つた直後被告人新留がその場から逃走したことは認められるが、これらの事実をもつてしては、被告人新留に暴行の故意のあつたことを認めるには不十分であるし、ほかに右暴行の故意を認めるに足りる証拠はない。他方、前掲実況見分調書、証人弓木野の供述、写真(番号57、58、59)、鹿児島地方気象台作成の証明書によれば、右事件発生当時被告人新留は弓木野巡査の西北の方向にいて同巡査らの方に向いており、そのころ西から東の方向へかなりの強さの風が吹いていたことが認められるから、私服警察官の写真撮影を妨害すべく旗を振つていたところ、旗が旗竿にからまりついたので、それを解くべく旗竿を振つた旨の被告人新留の供述は、たやすく排斥することはできないものというべきである。

以上により、被告人新留の暴行の故意についてはその証明がなく、結局本件被告人新留に対する公訴事実は犯罪の証明がないことになる。

三、つぎに、被告人中原に対する公訴事実について検討する。

(一)  まず、本件発生までの経過についてみるに、証人前田敏雄、同井上満義、同西田稔(一回)、同弓木野豊美、同平野薄、同木之下久人、同古江孝、同坂上松雄の当公判廷における各供述、前掲実況見分調書、道路使用許可申請書(写)、現場写真撮影報告書添付写真によれば、次のような事実が認められる。

公訴事実記載の昭和四四年四月二七日に約五〇〇名の労働組合員などが参加して、鹿児島県総評主催の「四・二七沖繩奪還、安保粉砕鹿児島県青年婦人連帯集会」が開催され同日午後一時ごろから右参加者による集団行進が開始された。右集団行進については、所轄の鹿児島警察署長が、(1)道路(歩車道の区別のある道路は車道)の右側端を進行すること、(2)他の交通に支障のないようにすること、(3)ジグザグ、うず巻、遅あし行進などの停滞行為をしないこと、(4)隊列は四列以下の縦隊とし、隊列の幅は三メートル以下とすることなどの条件を付したうえ、道路使用を許可していた。当日警察側は約二九二名の警備部隊、約四一名の交通部隊および採証活動などを任務とする約四五名の特科隊の合計約三七八名の警察官を動員していた。右集団行進は予定の経路に従つて進行したが、鹿児島市のメインストリートであるいづろ交差点から高見馬場交差点の間を通過した際、数回にわたりジグザグ行進などが行なわれ、その都度警備部隊によつて規制されるなどした。集団行進が高見馬場交差点にさしかかつた際は、その直前の警察官の実力による規制にあたつて集団行進参加者中に負傷者が出るなどしたため、同所ではかなり激しいジグザグ行進が行なわれ、付近の交通は停滞した。行進は右交差点で右折して通称三官橋通りに入ることになつていたが、右の事情のため三官橋通りの進行方向左側部分には一般車両の通行がなかつたため、行進は車道左側部分いつぱいに広がつて三官橋通りに進入し、さらに車道右側部分も警察官が一般車両を進入させないよう交通規制をしたため、右集団行進が三官橋通りに入つて約一〇〇メートル進行した場所付近からは車道の両側とも一般車両が通行しない状態となり、行進は車道いつぱいに広がつて行なわれるに至つた。このような状態に対して警察官は、道路使用許可条件に違反する行進をやめるよう再三警告したが、応じられなかつたため、車道右端へ行進を押しやるべく、圧縮規制として警備部隊による実力行使を開始した。そして、警備部隊に属していた弓木野巡査が同市西千石町一三番二一号の千石モータース前付近路上(公訴事実記載の場所とほぼ同じである)において、集団行進の先頭部分に対して実力規制を行なつている際、前述の被告人新留の所持していた組合旗が当る事件が発生したものである。

(二)  ここで、右警察官によるいわゆる圧縮規制の当否について言及する。

検察官は、右千石モータース前付近での規制当時、右集団行進は道路いつぱいに広がりいわゆるフランスデモが行なわれていたもので、これは前記道路使用の許可条件に違反しているから、その参加者全員について道路交通法一一九条一項一三号の罪が成立し、右違法状態が継続していたから、警察官は右参加者を現行犯人として逮捕することも法律上可能であつたところ、警察法二条一項に定められた犯罪鎮圧の方法として、逮捕よりも軽度の警察官職務執行法五条に定められた制止程度の即時強制の措置として本件規制におよんだものであるから、それは適法である旨主張し、前掲証人前田、同井上、同西田(一回)の当公判廷における各供述によれば、当日規制にあたつていた警察官も右と同様の根拠に基いて実力規制を行なつたものであるというのである。そして、右と同旨の見解によるとみられる裁判例もないわけではない。

しかしながら、(現行犯)逮捕は犯罪捜査等の刑事目的達成のために認められたものであつて、人の生命身体、財産の保護等行政警察上の目的を達成するために、右刑事目的のための手段を用いることは許されない。このことは、例えば他人の生命、身体に危害をおよぼすおそれのある者を、行政警察上の強制措置の要件が備わらないのに、偶々何らかの犯罪で逮捕の要件を充足したからとして、犯罪捜査のためでなく行政警察上の目的達成のために、逮捕し身体を拘束することが許されないことを考えてみても明白である。右の場合、逮捕に至らずより軽度の手段によつたとしても、その手段が強制手段である限り、それが違法であることになんら変わりはない。実質的に考えてみても、軽微な犯罪行為に藉口して即時強制を広く許容することになりかねず、警察官職務執行法その他の法令で行政警察上の公権力の行使に厳格な要件を定めた法の精神が失われてしまうおそれがある。

したがつて、本件のような場合、条件違反の集団行進参加者に対してほかに強制措置を定めた根拠がない以上、実力による規制を行なうことができるのは、警察官職務執行法五条後段に定められた要件を充足する場合に限られるものというべきである(なお、警察法二条一項に警察は犯罪の鎮圧を行なうことを責務とする旨の規定のあることをもつて実力規制の根拠とするかのような見解が、本件において検察官、警察官の見解の中にみられるが、右条項は警察活動の一般的根拠を定めたものにすぎず、任意手段はともかく、強制手段を行使するためには、右条項のほかに直接その手段を定めた特別の法令の根拠を必要とすることは多言を要しない。また、警察官職務執行法五条による制止は、犯罪が既遂に達したのちも、さらに法益侵害が継続、発展しようとしている場合には、これを行なうことが可能であると解されるから、前述のように解しても行政警察上の公権力の行使を不当に制限することにはならない)。

これを本件における千石モータース前付近路上における実力規制についてみるに、検察官もこれが警察官職務執行法五条の要件を満たしているとは主張しないのであるが、右(一)掲記の各証拠によると、警察官が同所付近の三官橋通りに一般車両を進入させないよう交通規制を行なつたため、右実力規制が開始されたころにはその付近には一般車両の通行はなく、一般歩行者の通行も両側に設けられた歩道上にみられるだけで、幅員約一六メートルの車道は警察官とその車両を除けば右集団行進者のみが進行していたもので、右行進者は手をつないで車道いつぱいに広がりいわゆるフランスデモを行なつていたことが認められる。右のような状況においては、同法五条所定の「人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があつて、急を要する場合」にあたる事由があつたとはとうてい認められない。したがつて、右圧縮規制はなんら法令の根拠に甚かないもので違法な行為であつたというほかはない。

(三)  つぎに、証人弓木野豊美、同深田正人の当公判廷における各供述によれば、弓木野巡査は被告人新留の所持していた旗竿が頭部に当つたので、とつさに右所為を公務執行妨害罪であると判断し、同被告人をその現行犯人として逮捕すべく、同被告人の後を追つて集団行進参加者の中(右圧縮規制が始まつたため、このころは既にフランスデモではなくなつていた。)へ入りこみ、同被告人に背後から抱きついたところ、その周囲には多数の行進参加者がいて同被告人を参加者の中から引き抜かれないよう弓木野巡査や被告人新留の身体に手をかけ引いたり押したりしたが、被告人中原も弓木野巡査の手を短時間つかんで引張り、ついで被告人新留の手を両手でつかんで強く引張つたことが認められる。先に認定したとおり、同被告人は公務執行妨害罪の現行犯人ではなかつたわけであるが、当時の客観的状況からすれば同被告人を現行犯人と認める十分な理由があつたと考えられるから、弓木野巡査が同被告人を逮捕しようとした行為は適法な職務行為というべきであり、当時の状況から判断すると、被告人中原は同巡査が職務を行なつていることを認識しつつ右の所為におよんだものと認められる。

しかしながら、刑法九五条一項の罪が成立するためには、公務員の職務の執行を妨害するに足りる暴行がなされることを要するので、この点について検討すると、被告人中原および前掲証人弓木野、同深田の当公判廷における各供述によれば、右被告人中原の所為は多数の行進参加者に取り囲まれたもみあいの中でのごく短時間のできごとで、すぐ近くには多数の警察官もいて現に弓木野巡査の逮捕行為を応援すべく深田正人ほか数名の警察官もその場に駆け寄つて来ており、被告人新留は弓木野巡査に背後から抱きつかれて既に行動の自由を失ないもはや逃走することは殆ど不可能な状態となつていた状況のもとで行なわれたもので、その行為の態様も、相手を殴打するとか足蹴りにしたりあるいは腕をねじ上げるというような悪質なものではなく、直接弓木野巡査に対してなされたものは、同巡査が自ら「瞬間的なことだつた」と供述していることからも明らかなように、きわめて短時間その手を引張つたにすぎず、それによつて同巡査が被告人新留にかけていた手をはずす程のものではなく、ついで行なわれた同被告人の手を両手でつかんで引張つた行為も、弓木野巡査に向けられた暴行といえないではないにしても間接的なものにすぎず、また、そのときには既に深田巡査が応援に駆けつけて来ており、間もなく同巡査によつて排除されたものであることが認められ、これらの事実から判断すると、右被告人中原が弓木野巡査に向けて加えた有形力は軽微なもので、これをもつて同巡査の職務の執行を妨害するに足りる暴行を加えたものということはできない。

そして、右所為のうち形式的には弓木野巡査の身体に対する有形力の行使にあたるのもあるけれども、本件発生前の一連の混乱が生じたのは、平穏に行なわれていたフランスデモに対して警察官が違法な実力規制を行なつたことがそもそもの発端となつたもので、行進参加者が右実力規制を憲法上保障された表現の自由の行使に対する不当な弾圧と考えてこれに対して反感を抱いたのも無理からぬところがあり、被告人中原が責任者の一人として詳しい事情を知らないまま参加者を隊列から引き抜かれないよう本件所為におよんだ心情も理解し得ないでもなく、またこれまで集団行進参加者と機動隊員との間で押し合い、引張り合いを生ずることはしばしばあつても、これに対して刑責を問うことは殆どなかつたこと、そして右有形力の行使がきわめて短時間かつ軽度のもので、その法益侵害の程度がきわめて軽微であることなど諸般の事情を総合すると、右有形力の行使は可罰的評価に値するほどのものとは認められず、これを不問に付し犯罪として処罰の対象としないことがむしろ我国の全法律秩序の観点からして合理的であると考えられる。

(四)  したがつて、被告人中原に対する公務執行妨害の公訴事実については犯罪の証明がなく、また暴行罪としても罪とならない。

四、以上により、被告人両名に対して刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

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